略歴
1989-:北海道で生まれ、道南の知内町で15才まで過ごす
2005-:函館高専⇒室蘭工業大学⇒同大学院で機械・航空系を学ぶ
2014-:精密機器メーカーで3年半ほど働く
2018-:青年海外協力隊としてタンザニアで2年過ごす
2020-:水野鉋製作所に弟子入り
2025-:水野鉋製作所の設備を借りながら独立
プロフィール
大学院卒業後は精密機器メーカーに勤務していましたが、品質保証課への配属となり、モノづくりをしている喜びが得られず、悶々としていました。
その後、青年海外協力隊としてタンザニアで機械工学を教える経験を経て、改めて「自分の手でモノを作る仕事をしたい」という思いが強くなりました。
帰国後、SNSで偶然目にした「越後与板打刃物の弟子募集」の広告をきっかけに、水野鉋製作所に弟子入りしました。
5年間、土曜・祝日も工場に出て修行を重たことで、鉋や鑿に加えてスクレーパー・鉞といった道具も製作できるようになりました。
2025年、「水鳥刃物」として独立し、日々、使いやすく美しい大工道具づくりに励んでいます。
水鳥刃物の由来は師匠の「水」野と似「鳥」から来ています。
よくある質問
Q. なぜ水野鉋製作所だったのですか?
SNSで募集をしており応募しやすかったことと、市民団体が関わってくれていたおかげでサポートも充実していると感じられたためです。

Q. 修業は厳しかったですか?
想像よりも自由な環境でしたが、「親方の言うことは絶対」という周りのアドバイスを守って修業に取り組みました。
Q. 5年で独立は早いのでは?
通常は10年ほどかかる仕事ですが、市の補助が最大5年だったため、その期間で集中して学びました。早く独立するため、火を扱う鍛造の練習機会を多くいただけたのが幸運でした。
練習を含め、この5年で鉋は約1000枚ほど作りました。
Q. 鉋づくりで難しかったところは?
鋼と地金をしっかりと付けること。きれいな裏スキを作ること。狂いをしっかりとり、バランスの良い研ぎができること。この3つが大きな壁だったと感じています。
Q. 今後の目標は?
まずは鍛冶屋を続けるために、次の2,3年で生活が成り立つ収益を上げられるようになりたいです。また与板が刃物の産地として存続できるような活動にも力を入れていきたいです。
【ちょっとした質問コーナー】
- 好きな言葉:「早く行きたければひとりで行け、遠くまで行きたければみんなで行け」
- 新潟に来て驚いたこと:お盆の墓地が花でいっぱい。北海道では見たことがありません。
- 新潟の好きなところ:江口だんごが美味しい。
- リラックス方法:弓道場で仲間とおしゃべり。
- スワヒリ語でひとこと:Tuende!⇒さぁ行こう!
